
2009.07.27
介護の仕事を始めて十数年。「いろいろ変わったな」と感じています。また、「いろいろ勉強しなければ」とも感じています。
今まで正しいとされていた事が、ある日まったくの間違いであった、なんてことはよくある話。医療も介護も日々進歩しています。そんな最新の情報をキャッチできるように日々いろいろな所にアンテナを張っていないと「時代にとり残されてしまうな」と感じる日々です。さすが情報化社会ですね。
そんな情報化社会、ちょっと困ったこともあります。
同じ目的でも、発信者の感情?が入るためか、受け取り側で少々混乱して錯綜してしまうことがあります。どれが正しいのか、これはどのケースにあてはまるのか、判断する必要があるようです。本当、難しい。結局、根本はおなじ事を言っていたり、または関連していたりするのですが...。
このような時代、十数年継続して介護の仕事(実は私も転職組、年度途中の入職です。)をしていて分かったことがあります。それは「介護は『思い』や『気持ち』だけでは勤まらない。いろいろな『知識』や『技術』があってこそ出来るものだ」ということです。
そんなことに気付かされたのは、たしか6、7年前の出来事がきっかけですかね。記憶が定かでなくて申し訳ないです。いろんな研修を受けました。中には無理やり受けさせられたのもありました。休日も使いました。気持ち的には義理で行ったのもあったかな?(こんな言い方は失礼ですね。でも当時はこんなことも感じていました。)しかし、今では感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな中で、移乗介助についての研修(内容は移乗・移動介助だけではなかったのですが)で、フランク・ハッチという人に出会いました。「ほへ ~~」と、なんか閉じていた目が開いた感じでしたね(ホントかよと突っ込まれそうですが)。また「その技術は完璧に会得したか?」と問われれば、「まだまだ未熟者です。」と答えますが。
このオジサンに出会って、『人の自然な動き』を教わりました。そこで介助する時に「心地よさ」を相手に伝えることができることを知りました。そして「人は人として関わることで人らしさを保つことが出来る。しかし、物として扱うと人は物となってしまう」ということに気づきました。
極端な事例ですが、認知症などの病状の進行、上肢・下肢・体幹関節部の麻痺や拘縮などにより、寝たきりと言われる状態になってしまうと、身体の感覚が無くなってしまうと言われています。そこで重要なのが、『自然な動き』です。「頭がある。腕がある。足がある。身体がある。それぞれがこんなふうに動く」と相手に認識してもらえるように介助をする。寝たままゴソゴソ移動するときに、「こんなふうに人って動くんだよ」、移乗するときには「人ってこんなふうに動くんだよ」と介助しながら伝えることで、自然な動きを促すことができる。こうした関わりを続けることで人間らしさを維持できるのだな、と感じています。(心地よさを伝えられているかは...どうでしょうか?)
『思い』や『気持ち』だけでは介護は出来ません。これだけでは大きな壁が立ちはだかります(無論『知識』や『技術』だけではなんともならないのですが)。この『思い』や『気持ち』を実現する為に『知識』や『技術』が必要となります。また、『思い』や『気持ち』があるからこそ、『知識』や『技術』を学びたいという気持ちが現れてくるのでしょう。
人は一生、何らかの形で成長し続けると言われています。人生学びの連続なのでしょう。親が聞いたら「あんなに勉強嫌いだったあなたが何言っていんの」と鼻で笑われてしまいそうです。しかしより良い仕事をするためにも、学び続けることが必要なのだと強く感じている今日この頃です。
関町特別養護老人ホーム 介護係長